能登半島地震に思うこと

令和6年1月1日16時10分、能登半島地震が起きました。最大震度7の大地震は、私の大好きな風光明媚の地を一変させました。輪島の朝市通りは、千枚田は、時国家は、皆月海岸は、和倉温泉は・・・。ニュースで変わり果てた景色を見て、やり場のない思いに駆られています。

被災した社員や関係者には会社所有のアパートへの入居を勧め、地域にはグループ会社で義援金や物資を提供する段取りをしました。和倉の知人にも早々にお見舞いしたいと考えていますが、何をすれば良いのか、はやる心と先方の「気持ちだけで嬉しい」という言葉に翻弄される日々を送っています。

先日、会合の挨拶で「新年おめでとうございます」と言っている方がおられましたが、今年は新年の挨拶に「おめでとう」は使えないと個人的に思っています。地震から1カ月が経ち、少しずつ復旧に向けた動きが進んでいます。「能登は必ず立ち直る」。復活を心から信じています。

富山には「立山が屏風のように富山を守ってくれているから自然災害が少ない」という神話があります。私もそう思い込んでいました。しかし今回の地震は、富山県内でも震度5強を観測しました。自然災害に対する取り組みを、改めて考える時が来たと感じています。

地震当日の話ですが、高岡は港町伏木が大きな被害を受けました。伏木在住のグループ会社社員は、山手にある総合病院の駐車場に避難しましたが、夜になってホテルを探すことにしたそうです。高岡市内にある数軒のホテルに電話しましたが、すべて断られてしまいました。エレベーターの停止や客室の物品の倒壊が主な理由(あとから知った)でしたが、射水市(旧小杉町)のホテルは受け入れてくれました。そのホテルもエレベーターは止まり、多少の被害もありましたが、暖房が効き入浴もできました。そして「夜食にどうぞ」とお寿司まで用意してあり、温かい思いやりに感動したそうです。後日エレベーターは復旧しましたが、ある程度の揺れが収まるまで、結局5泊しました。フロントに宿泊料を払おうとしたら、何と「宿泊料はいりません」と言われたそうです。大手チェーンのホテルですが、そのホテルの従業員たちで決め、本部からの指示ではなかったとのことでした。

なかなかできることではありません。素晴らしい決断と柔軟な対応に、心より敬意を表します。この話を聞いて、私はその系列のホテルをぜひ利用したい、人にも勧めたいと思った次第です。

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