地鎮祭

「地鎮祭」はその土地の氏神様に工事開始の報告と安全を祈願する儀式であり、工事の第一歩を踏み出す大切な瞬間です。施主様にとっては、苦労して計画をまとめて、いよいよ工事に着手する大切なスタートライン。当社は地鎮祭の設営や進行、施主様への配慮など、完璧はありませんが、都度見直しを行って最高の「地鎮祭」を追求しています。

私を含め当社の社員は、地鎮祭で「寺崎工業の印半纏(しるしばんてん)」を着用します。印半纏で「出入りの大工」を表し、その建物がある限りメンテナンスをさせていただきます。「出入りの大工」はお客様の表玄関から入らずに勝手口から入ります。お客様とは日頃のお付き合いも大切にし、おめでたいことや悲しいことを共に感じられる関係でありたいという意識を全社員で共有し、日々の仕事に取り組んでいます。

その「地鎮祭」が今日、行われました。炎天下でしたが、幸いにも時折りやさしい風が吹いていました。手前味噌ですが、今日の地鎮祭は神主様・施主様としっかりと打合せができていると感じました。

「地鎮祭の前まで晴れていて、式の間だけ雨が降って、終わった後また晴れてくるのが地鎮祭として一番いい」と父から聞いたことがあります。その完成した建物からは火が出ないと言っていました。私もそのような天気の地鎮祭を何度か経験したことがあります。もちろん、天気で全てが決まることはありませんし、地鎮祭は吉日を選んで行われます。

話は戻って今日、玉串奉奠の儀式で、施主様の社長が施工者の代表である私に頭を下げられました。恐縮した私は、座ったままですが姿勢を正してお辞儀しました。続く施主様の社員10名余りの方々も全員、同じように私に頭を下げられました。私にとっては「恐縮至極」の出来事でした。

式が終わった後の車の中で、「社員は社長の行動の真似をする」ということを考えました。良いこともそうですが、悪いことも真似をすると考えると、これは怖いことだと思いました。改めて「社長としての行動」について見直そうと思った次第です。

映画

先週、久しぶりに一人で映画館に行ってきました。

「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」。今から55年前、アメリカが人類初の月面着陸に威信をかけて望んだアポロ計画の舞台裏をNASAの協力も得て描き、計画が失敗した時のためのフェイク映像まで作ってしまう物語です。コメディ要素もあり、恋愛物語でもあり、上映時間132分、睡魔に襲われることはありませんでした。面白かったです。しかし、劇場の観客は3人。夏休みに入った平日の17時過ぎでしたが、これで採算が取れるのかと少し心配になりました。

小学生の頃から映画が好きでした。加山雄三の「若大将シリーズ」や「モスラ対ゴジラ」などの怪獣映画を観て育ちました。一日で映画館を二軒廻ったこともあります。当時は娯楽の殿堂であり、休日の映画館は常に大入りでした。

中でも一番印象に残っているのは「ひまわり」。中学三年の時、私が自衛隊の少年工科学校に入学する前に観ました。ソフィア・ローレン主演のイタリア映画で、戦争によって引き裂かれた夫婦の物語です。第二次世界大戦中のウクライナを舞台に、冬の凍る大地と夏の明るいひまわり畑を人生に置き換えて映像化してあります。そして物悲しいヘンリー・マンシーニのテーマ曲。今でもこの曲を聴くたびに涙が出そうになります。私にとって生涯忘れることのない名作です。この映画を観て、自衛隊に入るのをためらったことを覚えています。

いやぁ、映画って本当にいいもんですね~。これからもジャンルにとらわれず、いろいろな映画を観ていきたいと思っています。

富岡鉄斎

7月に入り今年も半分が過ぎました。1月1日の能登地震以来、富山の安全神話も考え直す時が来ています。災害はどこでも起こりうるものであり、日頃からその対応について考え、行動することの大切さを痛感しています。

この地震で被害を受けた我が家の「蔵」も、先日からやっと修理が始まりました。土壁が一面崩れ落ち、ひび割れも至る所に発生し、北陸特有の湿気から建物を守る「置き屋根」も傾くなど、重傷でした。登ってみるとシロアリの被害も見られました。建てられてから70年以上経つ蔵ですが、時間をかけて直すつもりです。

さて、今日は富山県水墨美術館での企画展「没後100年・富岡鉄斎」の開会式に行ってきました。実は私、昨年から富山県文化振興財団の理事を拝命しています。富山県高岡文化ホールの「音楽友の会」の役員である関係から選ばれたわけですが、昨年、ある企画展に出向いたときにその理事長から「寺﨑さん、わからんでもいいから、いいもの見とかれ。」と一言いわれました。それからは県内のミュージアムで開催される企画展などに、できる限り足を運ぶようにしています。

今回の「富岡鉄斎」、何となく名前は聞いたことがあり、絵描きだと思っていました。学芸員さんの解説を聞いたところ、儒教学者であり文化人であり、詩と書と絵師の顔を持つ方であったことを初めて知りました。幕末から大正時代を生きた「文人画家」といわれる巨匠です。北海道のアイヌの生活習慣を描いた書画や、日本各地を旅して風光明媚な場所をスケッチ(?)したような作品もありました。

展示品には「落款印」も大量に展示してありました。その書画にふさわしい印を選んで押してあるそうですが、私は「錬」という漢字が多いように感じました。なぜだろうと思って調べたところ、「錬」とは金属や心身・技芸をねりきたえることで、「錬金」「錬成」などと使われていました。「勉学への思いは常に持て」と私なりに理解しました。

富岡鉄斎は大正13年(1924)12月31日に89歳で亡くなっていますが、最後の書画も展示してありました。亡くなる一週間前のもので、書には「老いて益々学ぶ」と書いてありました。あっぱれとしか言えません。